瑞雲たなびく

平穏これ大事

熊野那智大社に行くその2(那智勝浦)

さて、バスに乗ってやってきた熊野古道入り口。

熊野古道」と「大門坂」と書かれた石碑がありました。

そこまでが前回の記事。

この左の道を行くとその先に階段があって鳥居があります。

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この階段を上がった左手に家があります。

そこは南方熊楠が3年間も滞在した旅館跡です。

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跡といっても建物があります。

この南方熊楠は知る人ぞ知る人物。

「年金」じゃなかった「粘菌」の研究やら生物の研究やら民俗学やら実績を残した人で、【18言語を解し、「歩く百科事典」と呼ばれ、熊楠の言動や性格が奇抜で人並み外れたもの】(wiki)でした。

人の家で100冊の本を読んでそれを家に帰ってから記憶を頼りに書き写したとか、20年前に会った人と会った時の状況とか一緒にいた人のコトとかを事細かに覚えていたりと記憶力がすごかったり。

反芻胃の持ち主で自由自在に食べたものを吐けたとか。(反芻胃は牛が持ってますよね)

うらやましいのはwikiによると【語学にはきわめて堪能で、19の言語を操ったといわれる。語学習得の極意は「対訳本に目を通す、それから酒場に出向き周囲の会話から繰り返し出てくる言葉を覚える」の2つだけであった。】

こんなんで外国語を覚えられたら楽ですよね・・・こんな能力があったら英語の試験が楽勝だったのに・・・

しかしこんな熊楠にも欠点があって、ものすごい癇癪もち(要はものすごく怒りんぼう)で、多汗症だからってふんどし一枚で山に入って女性をびっくりさせたり、定職につかず弟に援助してもらわないといけなかったりと、まあ完璧超人ってわけでもありませんでした。

 そんな熊楠が3年も滞在した旅館(今はやってません)。

旅館に滞在って、小説家でよくありますけど(川端康成とか志賀直哉とか)そんなことさせてくれるパトロンか出版社でもいたんでしょうかね。熊楠の場合はこの時誰が面倒見てたんだろう、やっぱ弟だったのかな。能力はめちゃめちゃ高くても無心ばっかされたら弟でも切れますわね、やはり途中で絶縁状態に。

 ちなみに熊楠の実家は酒造会社で(弟が継いだ)「世界一統」という社名で今も日本酒を作り続けています。

と、この旅館(今はやってません)を過ぎると「下馬」と書かれた石碑があります。

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これが「下馬評」の語源。

ここで馬を降りて中に入っていった主人を待つ間に下僕たちがあれこれ噂話をしていたので下馬での評価、下馬評となったそうです。

「下馬評」は、熊野古道を一緒に歩いていろいろ説明してくださったガイドの方の説明です。観光地ではガイドの方がよく案内人として活躍されてますよね。こういう人を見ると「神の使い」を思い出します。

例えば今回の熊野那智大社にはサッカーのシンボルマークでおなじみのヤタガラスが祀られています。ヤタガラスは神様の指示で神武天皇の道案内をしたカラスです。こうやって現代でもガイドの方の尊い善行の道案内のおかげで取りこぼしなく熊野を堪能できるのだなと思うと、ほんとうにありがたいことだと思います。名前は晒せませんのでSさん、ありがとうございました。