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瑞雲たなびく

平穏これ大事

熊野那智大社に行くその9(那智勝浦)

さていよいよラスト、那智の大瀧です。

 

入り口には鳥居と「飛瀧(ひろう)神社」の看板がかかっています。

 

そして歩きにくい石畳をどんどん下っていきます。

 

このあたりだと手すりがついているところもあるので不安な人はちゃんと手すりを持って降りていきましょう。

 

そうしてたどり着いたのがここ。

 

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テレビもネットもSNSもない時代に、こんな山奥の滝の情報がどうやって京の都にとどいたのでしょう。

 

そしてなぜ信仰の対象になったのでしょうね。

 

川だと信仰されないのに、(どこかでされているかもですが)水が崖から落ちるところは信仰される、この違いは霊感ゼロの私にはわからないですね。

 

ただひとつ、ここで私の自慢ですが、私がここに来た時、虹がかかっていました。

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これはうれしかったですね。歓迎されているような気がして。

 

とまあ、熊野古道からここまでずっとたどってまいりました。

 

私の写真撮りまくりが災いして時間はもうぎりぎりとなり、ここからは慌ててバス道まで戻りました。

 

私は熊野古道を歩いてきましたが、それが無理な人はこの瀧の入り口のところまでバスで来ることができます。

 

私も帰りはその滝の入り口まで戻り、そこからバスで駅まで戻りました。

 

乗客は日によるでしょうけどとっても混みますのでご注意ください。

 

バス停に土産物を売る店があってトイレもあります。

 

那智大社に行かれる方の参考になればと思います。

 

これにて那智大社編、終了。

熊野那智大社に行くその8(那智勝浦)

さて、この後見る景色は熊野と言えばのこの景色。

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あれれー、塔が傾いてるー!

 

リアル塔は傾いておりません、素人丸出しの私の写真技術のせいです。

 

ちゃんとしたのもありますが、おもしろいのでこれをあげておきます。

 

いよいよ瀧に向かいます。

 

向かう途中で見かけたこの小さな木は何かわかりますか?

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木の枝が必ず三つの股に分かれて伸びていく木、ミツマタといいます。

 

ミツマタ、コウゾと言えば和紙の原料ですね。初めて見ました。

 

キレイな可愛い黄色の花を咲かせていました。

 

春に来ると椿と言い、ミツマタといい、花に出会えるのがうれしいですね。

 

こういうのもガイドさんに教えてもらわなければスルーするところでした。

 

那智に行くことがあったら目にとめてみてくださいね。

 

ここから振り返るとこんな景色になります。

 

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昔はこんなにすっきりしていなかったでしょう、もっと山深かったでしょうから、来るのは大変だったんでしょうね。

 

青岸渡寺から下ったあたりは舗装道路なので歩きやすいのですが、この先瀧に向かう辺りは下の写真のように石畳になります。

 

これが歩きにくい!!

 

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私はスニーカーで行ったのですが、それでもガタガタすぎてつらかった。

 

何度も足首をひねりました。

 

雨の後は滑りやすくなりますし、ヒールなんかで行くところではないですね。

熊野那智大社に行くその7(那智勝浦)

そして鮮やかな朱塗りの那智大社の右隣には青岸渡寺があります。

 

天台宗のお寺です。

 

このお寺は那智大社とは違って木の肌そのままに古めかしく厳つくて、とっても雰囲気あります。

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表には西国第一番札所、那智山青岸渡寺。とあります。

 

いいです、この荒々しい雰囲気。

 

すごいかっこいい。

 

朱塗りの神社の美しさもいいですが、この年月を経た木の感じもいいです。

 

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もっと見ていたかったのですが、私が熊野の古道で写真を撮りまくっていたために時間が押してしまい、なでるように過ぎてしまいました。

 

この寺から下ると椿の木が一本植えられています。

 

この椿は1本なのに白や赤の色とりどりの花が咲き乱れることから五色椿と呼ばれているそうです。

 

行った日はちょうど花が咲いておりまして、このようにいろんな色が一緒に咲く不思議な写真が撮れました。

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熊野那智大社に行くその6(那智勝浦)

うっかり更新を忘れてひと月超えてしまいしました。

 

すいません。

 

ええっと・・・そうそう、熊野の那智大社に行ったお話です。

 

那智大社にたどり着いてお参りをしまして、そのまま右手に入っていきますと、このような樹齢800年の樟の木(くすのき)があります。

 

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この木は下が空洞になっていまして、入ることができます。お金要りますが。

 

くぐって、それだけです(笑

 

もしかすると樟の木には精霊が宿っていて触ると話しかけられて・・・なのかもしれませんが、私は霊感とかのたぐいが一切ないので何にも感ずることができません。

 

看板は樟ですが、楠と同意なんですかね?

 

wikiでは「各部全体から樟脳の香りがする。樟脳とはすなわちクスノキの枝葉を蒸留して得られる無色透明の固体のことで、防虫剤や医薬品等に使用される。カンフル注射のカンフルはこの樟脳を指しており、クスノキが英語でcamphor teeやcamphorwoodと呼ばれるように“camphora”という種名にもなっている。」とあるので、いい匂いがしたのかもしれません、私はそれもわからなかった(笑

 

樹齢800年なら芽吹いたのは1200年頃、時は鎌倉幕府が生まれる頃。

 

武士の政権が生まれる頃に那智の山奥でひっそりとこの木は産まれていたのですね、そう思ったら命の重みにぐっときますね。

熊野那智大社に行くその5(那智勝浦)

さて、階段を上がりきって熊野那智大社に到着しました。

道すがらの写真はなかなか人の映り込みがあってサイトにアップするのが難しく、いきなりこの写真です。

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右の鳥居から上がってきました。

奥に大社があります。

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左奥の黒い円柱のものがヤタガラスと書かれたものです。

日本サッカーのシンボルとして有名ですよね。

ヤタガラスと検索して一番に「モンスト」の記事が来ましたが・・・(;´・ω・)

神武天皇の道案内をした三本足のカラスなので、神話の時代です。

ヤタガラスが道案内とか動物が道案内したという話はちらほら聞くのですが、そういうのってどうして現代にないんだろう・・・

近い?のはもうなくなられた比叡山天台宗大阿闍梨酒井雄哉大阿闍梨が千日回峰で毎日比叡山を歩くときに白い犬がついていったのとか・・・かな?

その犬の子供も母犬にならってついてくるようになったとか。

映像見ましたけど後からきたり先導するように前を行ったり、なんだかじーんとくるものでした。

現代では私のように大門坂入り口から歩いてきてもよいし、もっと先の社務所のあたりや滝の入り口のあたりまで舗装道路が続いているので車で来ることもできます。

それでも石畳はありますが・・・

ちなみに熊野には梛(なぎ)という木があります。

熊野速玉大社(ここじゃない新宮市のほうにある)にはご神木があるのですが、この木の葉は葉脈が縦になっているので横に破れることはない、ということで縁結びの印になっているそうです。

ただし、神社内で採取することはダメですので欲しい場合は採取してもいいところを確認してからにしましょう。

売ってたりするのかな?そこは確認してないです。

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私が行った日は天気がよくて本当に助かりました。

前日か前々日だったか、雨が降って川の水位が上がってしまったので、瀧の奥に行く一行は途中で断念して戻ってきていました。ここまで来て行けないのは残念な話です。

でも安全第一ですからね。

 

 

熊野那智大社に行くその4(那智勝浦)

 

熊野古道の道の写真はネットにいっぱい出てると思うのでいいかな。

道の途中で滝が見えます。

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私はガイドの方についていただいたので要所要所を外すことなく見ることができましたが、単独で行かれる場合は時々右を気にしておきましょう。

昔の貴族たちもここで滝の存在を初めて認識したのかなぁ・・・(遠い目)

貴族といえば熊野詣では後鳥羽上皇とか後白河上皇が頻繁に来てたとか。

おお、後鳥羽上皇といえば貴族の時代から武士の時代の転換期にいた日本史の大物。

wikiによると壇ノ浦の戦いで海に消えた幼い安徳天皇の次の天皇

この安徳天皇天皇三種の神器のひとつ、宝剣をもったままだったもんだから、天皇の儀式のときに三種の神器がそろわなくなって、「治世を批判する際に神器が揃っていないことと天皇の不徳が結び付けられる場合があった。 後鳥羽天皇は、一連の「コンプレックス」を克服するために強力な王権の存在を内外に示す必要があり、それが内外に対する強硬的な政治姿勢、ひいては承久の乱の遠因になったとする見方もある」(wiki)ということで乱を起こして武士に鎮圧されて隠岐に流されてしまったということなんですね。

貴族なんて儀式とかがすべてだったでしょうに、それはもう大変な劣等感だったでしよう。

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そんな歴史に思いをはせながら、(いやすいません、後で知りました)古道を登りきると舗装された道に出て、細い階段を上がって少し進んでまた階段。

その階段の途中に郵便局があって、最近見かけない円柱型のポストがありました。

そしてこの道からも滝が見えました。

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このあたりに住んでいる人たちは当然、この景色が当たり前なんですが、観光目的の私にはこの景色すら「おおおーっ、滝ーー」なわけなので、写真撮っておきました。

そして歴史に思いをはせ(以下略)

ちなみにこの写真に写っている道は瀧に向かう道ではありません。生活道路です。

この背面に茶店があるので一服休憩もできます。

お土産物店もあるので買い物もできます。

階段をさらに登っていくといよいよ那智大社に到着となります。

はぁー、汗かいた。

熊野那智大社に行くその3(那智勝浦)

それでは熊楠が泊まった旅館跡を過ぎていよいよ熊野古道に入っていきましょう。

まずは夫婦杉がお出迎え。

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ここを逆から見るとこんな感じです。

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なかなか立派でしょう。

私が行った日は晴れたのでよかったのですが前の日あたりに雨が降りまして、道は若干湿っておりました。

高い木が道を囲んでいるので日の光もちょっと弱め。

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この写真は写ってしまった他人様のプライベート保護のためにこちらに向いた顔を白く塗っています。あしからず。

この道の先は熊野古道のポスターでも見かけるようなザ・熊野古道って感じの道です。

写真をとるにはなかなかいい雰囲気なのですが、絶えず誰かが歩いているので道だけを写真に収めるのはなかなか難しいです。

たぶん普段より人は少ない方なんじゃないのかと思うのですが・・・

この道沿いにはこんなものがあります。

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「多富気王子」

えっ(;゚Д゚)王子様が石になってしまったの?んなわけありません。

昔々12~13世紀にかけて貴族や天皇が熊野詣でをするときに急きょ立てた神社の跡なのです。参拝途中で参拝者の守護を祈願する目的で建てたそうです。

それが熊野古道には100ちょっとあります。(後から増えたりしたとかで)

旅に出て熊野那智大社まで何にもないと飽きるから、途中ランドマーク的に建てたとかだったりして。だって急きょ建てたとか、神様も急に家増えたら大変でしょうに。

特にこの多富気王子は京都から熊野那智大社に向かう道に点在する王子(九十九王子)の最終点。ここから先はもう那智大社しかありませんよーつて具合です。

しかし・・・(;´・ω・)昔熊野古道の別のところにちょっとだけ行ったときは王子って単なる貴族が休んだ休憩場って聞いたような気がしてたのです。

その時「えー、たかが休憩所に王子なんて大層な名前つけちゃってー」「なんか王子が仁王立ちしてそうじゃなーい」と思った記憶があります。

今回は「100も〇〇王子なんて名前ついてるなんて、最近刀剣乱舞とか戦国武将とか、日本の時代モノが流行っているから全部イケメン貴族に擬人化する人でるんじゃない?」と思いました。

100人分の書き分けって、大変だろうな・・・いや、私はそっち方面はよくわかりませんのでこれ以上は話が膨らみません。

しかし、道が石畳ではあるんですがボコボコで歩きにくかったです。

なんども足首がぐきっとなりました。

この先ちょっとだけ舗装道路ありますが滝の手前もボコボコの石段なので、来る人はなめてかからずに運動靴のような歩きやすいもので来た方がいいと思います。